当協会について


当協会について

250万人の海外日系人の存在は日本が国際協力、国際交流を考える上でたいへん重要な存在となっています。海外日系人協会は、これら日系人と日本の架け橋となることを考えています。そして、各種交流、協力事業を推進する中で海外諸国の日系人を通じた対日理解が促進され相互の繁栄を得ることが願いです。

当協会の設立経緯

第2次世界大戦中、米国各地の在留邦人・日系人達は、米国のキャンプに強制収容されましたが、日本国は米国 キャンプに対し、味噌、醤油、日本語書籍等の慰問品を赤十字社を通じて送っていました。このような背景のもと、日本敗戦後の混乱の中、食料はじめ生活必需品にも事欠く日本国民の悲惨な状況に対し、キャンプへの慰問品に対する感謝の気持ちと、母国同胞への激励のため、粉ミルク等の食料や衣料等の援助物資が日本国に送られてきました。

 

これらはララ物資といわれるもので、「ララ」とは米国のキリスト教団体、労働組合を中心として結成されたアジア支援組織の名称であり、1946年(昭和21年)活動が開始されています。このララによる日本に対する物資支援は、米国の在留邦人・日系人の働きかけにより実現したものです。ララ物資支援は、1952年(昭和27年)当時の価格で400億円を超え、そのうち、約20%、80億円が在留邦人・日系人からの援助物資でした。また、これを契機に米国のみならず、カナダや中南米諸国も支援活動を開始しました。

 

このような背景のもと、国会議員の間に「在留邦人・日系人の労苦を慰め、同胞愛への謝恩を表する」歓迎の祭典開催の声が持ち上がりました。そして当時、日本に唯一存在していた海外日系人関係の団体である「海外日系人連絡事務局」を中心に開催準備が始まりました。

 

この時代には、既に海外の在留邦人・日系人の墓参観光、商用、留学等での訪日が増加してきており、文化経済交流と国際理解が深まる中、日本の国連加盟が満場一致で実現しました。準備を進めてきた祭典開催についても、この国連加盟を機会に「国連加盟記念海外日系 人親睦大会」の名のもとに開催することとなり、1957年(昭和32年)5月に海外14ヵ国から在留邦人・日系人364人の参加を得て、東京の産経会館で 開催される運びとなりました。

 

親睦大会については、海外からの参加者より毎年継続的な開催の要望がありましたが、経費捻出の関係から第2回大会は、1960年(昭和35年)に開催されました。この第2回大会より名称が「海外日系人大会」に改称され、その事務局として「海外日系人連絡協会」が設立されました。また、第3回大会は、2年後の1962年(昭和37年)に開催され、この第3回大会以降は毎年開催されることとなりました。

 

1964年(昭和39年)、第5回大会の年より、協会に全国知事会が参画し、協会会長にも全国知事会会長で あった東竜太郎東京都知事が就任しました。以後、歴代の協会会長は全国知事会会長が勤め、知事が協会役員に就任することとなり、全国都道府県からの協会に対する分担金の拠出も開始されました。これを機に協会名称も「海外日系人協会」に名称変更し、1967年(昭和42年)、協会は財団法人の認可を受け、 「財団法人海外日系人協会」が設立されました。

 

2012年(平成24年)、公益法人制度改革に伴い、「公益財団法人 海外日系人協会」へ移行し、現在に至っています。

 

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