海外日系人大会


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第59回海外日系人大会inハワイを記念して皆様にお届けするハワイ特別ページです!


1.ハワイ日系社会の歴史(→2.ハワイ日系レガシーを伝える場所のご紹介はこちら

「元年者」って?

1868年(明治元年)に、サイオト号でハワイへ渡った153人の日本人集団移住者たちのことを「元年者」と呼んでいます。
ハワイではプランテーションなどでの労働力不足を解消するために、外国人労働者を求めていました。当時の在日ハワイ領事ヴァン・リードは徳川幕府に交渉し、約300人の送り出しの準備を進めていましたが、その間に明治維新が起こり、新政権となった明治政府はこれを無効化してしまいました。そこでヴァン・リードは、無断でサイオト号を出港させることになったのです。こうして日本人の最初の集団移住が始まりました。

元年者は、慣れない環境のもと、プランテーションでの過酷な労働を強いられました。彼らが窮状を訴えたことにより、明治政府はハワイへ特使を送り、一部の帰国希望者を日本に返しました。3年間の就労期間を終えた残りの元年者のうち、約半数がアメリカ本土へ移り、10名ほどは日本へ帰り、それ以外の人はハワイに残りました。結果として、元年者約150人は、ハワイ、アメリカ本土、日本に、それぞれ3分の一ずつくらいが散らばった形になります。

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「元年者」のあと・・・

元年者移民の対応に苦慮した明治政府は、その後、しばらく海外移住に慎重になり、その一方で、北海道の開拓に力を入れました。ハワイ側は日本に移民送出の要請を続け、ついに1885年、日本ハワイ労働移民条約が締結されることになりました。政府間で交わした約定書に基づいてハワイへ渡った人たちのことを「官約移民」と呼んでいます。 それ以降、官約移民が廃止される1894年までの間に、2万9千人の日本人がハワイへ移住しました。

1894年、アメリカがハワイを属領としたことにより官約移民の時代は終わり、民間の会社が仲介して「民約移民」を送り出すようになりました。このころ、ハワイに在住する日系人はハワイ全人口の約4割を占めるまでになりました。

1900年にハワイがアメリカの準州となると、民約移民も廃止され、自由渡航移民の時代となりました。しかしその後、アメリカ本土で排日運動が活発になると、集団移住の時代は終わります。 そこで、個人が親類などを呼び寄せたり、見合い写真を介して結婚相手を呼び寄せたりする「呼び寄せ移民」が行われるようになりましたが、これが最後の移民の形となりました。1924年に移民法が改正され、日系移民が廃止されたのです。



戦争の時代

1941年12月8日(ハワイ時間では7日)、日本軍による真珠湾攻撃が行われました。これは、ハワイ日系社会に大きな衝撃を与えることとなりました。日系社会の指導者は拘束され、一部はアメリカ本土の収容所へ送られました。日系二世の現役兵士たちはアメリカ本土に送られ、この連隊は、第100大隊という名をつけられました。さらに日系志願兵によって442部隊が編成されました。 彼らはヨーロッパ戦線で勇猛に戦いました。442部隊はアメリカ戦史上、もっとも多くの勲章を受章しましたが、同時に多くの死傷者を出しました。

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戦後、そして今

戦後は日系社会の指導的役割を果たしてきた一世が退いて二世が中心の社会となり、さらに三世の影響力も強くなってきました。現地社会に同化が進むにつれて、政治、経済、文化などさまざまな分野で活躍する日系人が出てきました。1959年には、ダニエル・K・イノウエ氏が日系人初の連邦議員となり、その後、1963年から50年近く上院議員に在任し、日米友好に多大な貢献をしました。2017年にホノルル国際空港がダニエル・K・イノウエ国際空港に改名されたのは、私たちの記憶に新しいところです。

現在、ハワイ日系人のは六世までが存在するといわれています。
元年者150周年を迎える今年、ハワイで開催される第59回海外日系人大会に参加して、ハワイ、そして世界の日系レガシーを振り返り、今後の日系社会について語り合いませんか?



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